10年前の2012年、その当時の僕は神戸に住んでいて昼は中華料理屋さん、夜はイタリアンバルでアルバイトをしているフリーターでした。
それから10年の間に京都市左京区に自分の店クチーナカメヤマをオープンし、画家になり経営コンサルもするようになりました。
個人事業主となり飲食店開業をした僕は、フリーターから一応オーナーシェフという肩書きを使えるようになり、ある程度自分の中でも恥じることないの存在になれたと思います。
そして今年の9月には本を出版することになり、振り返ると10年の間に劇的に人生を変えてきたと思います。
でも思うことは本質的な部分は何一つ変わってないということです。
フリーター時代の自分も今の自分も料理に対して取り組む姿勢は特に変わってないですし、絵を描くことにしても、経営コンサル的なことも以前と大きな変化があるとは思いません。
もちろん腕は上達しますし、経営ノウハウも増えているのは確かですが、肩書きだけが立派になっただけで、やっていることは10年前とそんなに大差がないと思います。
でも人間としては変化がなくても人生としては劇的に変わっていますよね。
働き方も変わりましたし、自由に人生を楽しむことができるようになりました。
とはいえ本質の自分はそこまで変わってないと思います。
そこで何が変わったかなぁ?と考えてみると環境と周囲の目が変わったのだと思います。
自分自身は大きな変化はしてなくても環境と周囲の目が大きく変わっているのです。
何を言ったのかよりも誰が言ったのか。
この言葉に集約された意味のように、誰という存在になるということが環境を含め大きく自分を変えてくれます。一般人の名言よりイチローの名言の方が遥かに意味を持つのと同じです。
有名になることが全てなどは思いませが、100人知ってるお店より、1万人知ってるお店の方が流行るのは当然なんですね。
ではそのためには何をすればいいのか?
というと自分の技術を磨き、それを世に発信していくことに他なりません。
そして自分自身では気づかないような、緩やかな上昇曲線を描くように向上していくことで、歳月を重ねるたびにより豊かな自分に成長していけるのです。
つまり動くことで人生は変わります。
本質的な部分は変わらなくても生活的な部分は大きく変わります。
結局人生はどう動くかしかないんです
10年後に劇的な変化を感じることのできるあなたが存在しているとして、今のあなたと大差のない人物です。
違いがあるのは10年の中でどう動いたのかどう動かなかったのかだけなのです。